桜美林大学教員
アルジェ大学CREAD客員研究員
鷹木 恵子
6月半ばにアルジェリア東部の都市アンナバを、また7月初めには西部の都市ムスタガネムを訪れ、それぞれの町にある宗教施設を訪問・見学する機会があった。
アンナバの方は、北アフリカの明星、キリスト教の大司教で大学者でもあったアウグスチヌスに因んだ聖アウグスチヌス大教会(La Basilique Saint Augustin)で、ムスタガネムの方は、20世紀に入り創設されたイスラーム神秘主義(スーフィー)教団、アラウィー教団(Al-Alawi)のその本部である。
アウグスチヌス(354-430)は(注1)、アルジェリアの東部の田舎町スーク・アハラス(Souk Ahras)に生まれたが、キリスト教の布教活動をしつつ晩年を過ごした地がヒッポ、すなわち今日のアンナバであったことから、それに因んでフランス植民地期にこの聖アウグスチヌス大教会が建設されたとされている(注2)。実際の建設工事は1881年に着工され、その19年後の1900年に竣工したとされている。この大聖堂がそびえ立つ緑の丘からは、アンナバの町全体が眺望でき、またその丘の麓にはアウグスチヌスが生前、実際に生活をしていたという町の遺跡がやや野ざらしとはなりながらも残っており、そのようなことから、この美しい聖堂を訪れる人は、今日も宗教の同異を問わず、少なくない。
アンナバの聖アウグスチヌス教会とアウグスチヌスの銅像
この大聖堂に隣接してはまた、身寄りのない高齢者たちが暮らす介護施設があり、そしてその施設では、キリスト教徒のシスターたちがイスラーム教徒のアルジェリア人の男性と女性のお年寄りたちを手厚く介護していた。この教会・施設で活動している20名ほどのシスターたちは、みな国籍が異なるということで、フランス、イタリア、スペインなどの西欧諸国出身者の他に、アフリカ諸国やラテン・アメリカ諸国、アジア諸国の出身者もいるとのことで、我々が訪れたときには韓国からのシスターがちょうど夕食の準備に取りかかっているところであった。これらのシスターの何人かは、介護を受けているお年寄りとさほど年齢が変わらないと思われるような高齢の方々であったが、しかし大変な熱心さでお年寄りの介護にあたられていた。介護施設のなかにはまた、イスラーム教徒のための礼拝の場も設置されており、実際に数名の男性たちがそこで礼拝をしていた。
教会に隣接する老人ホームで談話するシスターとムスリムの男性
教会のなかを案内してくれたのは、マルタ島出身の修道士であったが、彼の説明によると、この教会は三つの文化の建築様式を採用して建造されたものであるという。まずひとつがローマの建築様式で、聖堂の平面が十字架の形をしている点がその特徴で、第二はビザンツの建築様式で、それは柱頭の装飾や壁のモチーフなどにその特徴をみることができるという。そして三番目の様式とはアラブの建築様式で、特にそのドームや柱の間のアーチのかたちにその特徴をみることができるという。そしてそれらの異なる様式の調和がこの聖堂の美しさであり、それぞれがその個性や特徴を尊重し合って存在してあるように、我々もまた現代社会のなかで、宗教や国家や民族などの違いを越えて、平和共存していくことが大切であるというメッセージを案内の終わりに付け加えた。
ムスタガネムにその本部をもつアラウィー教団の活動もまた、今日、寛容さを失ったかのような教条主義的イスラーム教徒の集団がみられるなかで、宗教・文明・民族の差異を超えた対話・交流を促進しようとしている宗教集団である。アハメド・イブン・ムスタファー・アルアラウィー(Ahmed Ibn Mustafa Al-Alawi, 1869-1934)を創始者とするスーフィー教団で、彼の死後、その愛弟子で娘婿であったアッダ・ベントネス(Adda Bentunes 1898-1952)がその後継者となり、その子息のムハマド=アルマフディ・ベントネス(Muhamad al-Mahdi Bentunes 1928-1975)がさらにその教団長(シャイフ)の座を引き継ぎ、今日、そのさらに子息のハーレド・ベントネス氏(Khaked Bentounes 1949- )が教団の第四代目のシャイフとなって活躍している。
アラウィー教団のモスクのミフラーブとフカラーたち
筆者がこの教団に実際に接するようになったきっかけは、5月にアルジェの文化会館(La Palais de la Culture)で開催されたシャイフ・ハーレド・ベントネスによるスーフィーズムについての講演会に出席してからである(注3)。
講演会開催の通知をある新聞で知り、独立以降、社会主義政策が推し進められてきたこのアルジェリアで、「スーフィズム」というイスラームの哲学・思想が一体どのように語られるのかに、興味とまたやや懐疑心とをもって講演会に出かけてみたのである。そしてそこで先ず驚いたことは、スーフィー教団のシャイフとして登場したのが、決してターバンを巻いたイスラーム服を着た年輩の男性などではなく、背広を着てネクタイを締めた我々の周りにどこにでもいそうな現代的な壮年の人物で、そしてさらに驚き圧倒されたことは、彼の語るスーフィズムというもののモダンさ、すなわち現代という時代にふさわしいスーフィズムの哲学・思想の探求、寛容さや平和への希求、そのための宗教間・文明間の対話の尊重や促進、さらにその国際性などであった。
スーフィズムについての講演ということで、イスラーム思想史のなかでのその展開などが相変わらず話題になるのかと思っていた私にとっては、この講演内容は大変感銘深いと同時に衝撃的なものですらあった。なぜなら、現在のこのアルジェリアに、未だ多数のスーフィー(注4)、あるいはスーフィーの道を求めて生きている人々が存在し、かつ実際に活動しており、そしてシャイフ・ベントウネス自身、現在、フランスのニースに住まい、国際的なネットワークをも発展させて、中東イスラーム諸国のみならず、ヨーロッパやアジアでも活発に活動し、さらにイスラーム教徒のみならず、キリスト教徒、ユダヤ教徒、また仏教徒などとも盛んに対話・交流を進めていることなどを知って、アルジェリアにおけるイスラームの実態についての自らの認識がいかに偏ったもので、底の浅いものであったかを再認識させられたからである。
教団の本部のあるモスタガネムには、1991年にはL’Association Cheikh El-Alawi pour l’education et la culture soufie(シャイフ・アラウィー・教育とスーフィー文化の会)という政府公認の協会も設立され、合法的組織として、宗教活動の他に、地域社会の開発・発展のために子供や青少年の教育や、女性たちの職業訓練などの活動も行っている。さらに教団員のボランティアによって1997年に設立された、会議室や宿泊施設を擁する文化センターでは、イスラーム以外の宗教信者との交流や共同セミナーなども頻繁に開催されており、5月にはキリスト教徒の信者たちのとの交流会が持たれ、その折にはスーフィーの宗教的な行であるズィクルやキリスト教のミサを、イスラーム教徒とキリスト教徒とが共に行ったという。
マスメディアによる報道の影響もあって、アルジェリアにおけるイスラームというと、テロとの関わりのある「イスラーム原理主義者」たちのことばかりが衆目を集めてきたが、そのアルジェリアの地に、異教徒たちとの対話や交流・共存を求めて、またそれを実践して生きている、キリスト教徒たちやまたイスラーム教徒たちがいるということを、私は今回のアンナバとムスタガネムへの訪問を通して発見し、確認したのである。
宗教や民族の差異がもとでの紛争や衝突が絶えない現代の世界のなかで、またグローバル化の時代といわれる現代に生きる私たちにとって、今、まさに注目し、評価し、そして自らも推進していかなくてはならない方向性とは、宗教や民族の差異はあれ、アンナバの聖アウグスチヌス教会・施設やムスタガネムのアラウィー教団で、日々、たゆまず実践されているような宗教・民族・文明の差異を超えた対話や共存の道の探求であるということはほぼ間違いのないことであろう。
注1 アウグスチヌスは、生涯に150もの著作を残したとされ、キリスト教哲学・思想史などの研究の上では
避けて通れない大学者。一般的参考文献に、永井明『聖アウグスチヌス』アルバ文庫、1999年などがある。
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注2 M.Coteによれば、この教会の建てられた場所には、かつてはバール神やサトウルヌス神(ローマの神話に出てくる農耕の神)を祀った神殿があったとされ、さらにその後、地元の人々がLalla Bounaという女性聖者への信仰からこの場所をよく訪れていたとされている。Cote Marc Paysages et Patrimoine: Guide d’Algerie. Alger: Media-Plus, 1996, p.206.
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注3 講演会は、Association des Amis de Patrimoines(遺産の友の会)という協会の主催による。なお、Khaled Bentounes氏には、Le soufisme: Coeur de l’islam. Paris: Editions de la Table Ronde, 1996 などの著作がある。
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注4 教団の人々自身は、自らをファキール(faqir、「貧しい者」)と称している。スーフィーという語彙自体、最も一般的な説では、もともと禁欲主義的思想との関わりから「羊毛の粗衣をまとった者」という意味に由来するとされている。
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