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“失われた10年”後の経団連アルジェリアミッションに参加して

日揮(株)清水幸比古

 昨年12月18日アルジェにおいて第4回日本アルジェリア合同経済会議が開催された。今回の合同会議は1993年開催の第3回に続くもので実に9年振りのことであった。
  前日の12月17日、日本から或いは欧州、中東の各地と現地アルジェ等から日本企業や公的機関の代表の方々がアルジェに続々と集まり、その数は70名強の大デレゲーションとなった。それはあたかも日本から“アルジェリアの失われた10年”の終焉を知らせるファンファーレのようであった。

 しかし、プロローグはアルジェリア側の歓迎の意とは裏腹に、その受け入れの実態はお粗末なスタートを切った。AH1009便は定刻通り9時55分にアルジェ空港に到着した。そこでの出国手続きは皆のパスポートを一括して預かり、VIP待合室でお待ち下さいと、そこまでは良かったが、結局2時間ほど待たされて、通常の所要時間と大差なかった。そしてホテル(Sheraton, le Club des Pins)に着いたのは12時を少し廻った頃。そこでのチェック・インのもたつきぶりは、ホテル側の客を客と思わぬ応対振りと相俟って我が国の数十社の企業を通じて後世に語り継がれることであろう。要するに担当者は一人一人、所定のチェック・インのマニュアル通りにやらないとどうしてよいかわからない。かなりの部屋の準備ができていなかったこともあり、加えてサウジアラビアの王子様かなんだかが突然ご光臨あそばして急遽部屋割り変更もあって混乱の極みにあったようだ。全員がチェック・インできたのは午後6時を過ぎていた。ミッションの現地側スタッフとホテルの支配人との事前の念入りな打ち合わせにもかかわらず、いざフタを開ければそこは別の意味での“失われた十年”であった。因みに小生に割り当てられた部屋は案の定バスルームの湯も水も一滴も出ず、フロアマネージャーは勿論のこと、ホテルの総支配人に直接クレームしたが、“承知しました。直ちにテクニシャンを送ります。”と云ったきり、梨の礫。結局3日間一滴も出ず仕舞。懐かしいほどアルジェリアは何も変わっていなかった。

 ホテルのチェック・インで“失われた6時間”の間、我々は丁度開催中の「科学技術週間展示会」を見学した。これはエネルギー鉱業省、SONATRACH主催でアルジェリアと海外の主要な科学技術関係企業が120社以上出展しており、日本からは日揮が1社参加していた。

 さて、翌日18日の合同会議はSONATRACHの迎賓館エルミタックが会場であった。
日本側のミッションは団長である、重久日ア経済委員会委員長(日揮会長)をはじめとして商船三井北條専務、帝国石油戸野専務など民間企業の代表と国際協力銀行丸川理事、日本貿易保険波多野理事、石油公団岩間理事、経済産業省からオブザーバーとして猪口石油天然ガス課課長補佐など錚々たる顔ぶれで、アルジェリア側は本会議の委員長であるケリルエネルギー鉱業大臣のほか、テルベシュ大蔵大臣、テンマール協力・投資大臣、ジェルダム商務省次官、ヘミン投資庁長官、など閣僚クラスを揃え、現地の多勢のマスコミと日本経済新聞カイロ支局の松尾記者も加えて総勢200名を超え、立席も出る始末であった。

 合同会議はケリル、重久両委員長の開会の挨拶に始まり、アルジェリア4閣僚による「アルジェリアの金融改革」「アルジェリアの民営化」「アルジェリアのWTO加盟に伴う民間部門改革」「アルジェリアの投資誘致策」の各プレゼンテーション、日本側から波多野日本貿易保険理事による「日本の政治・経済情勢について」のスピーチがなされた。午後に入ってからは「エネルギー関連」「インダストリー(IT・通信、電機、公共事業、輸送、水資源、観光等)」「金融・保険等」の3つの分科会に分かれて進められた。

 そして再び一同に会して、会議の総括と閉会の辞をもって9年振りの会議は終了した。ここで特筆すべきは重久委員長の閉会の挨拶が、とりわけ日本側の参加者にとって極めて好評で印象深いものであったことである。その主要部分を以下に紹介する。

 『・・・ところで私の手許に或る人が書いた文章があります。或る人とは、アルジェリアの皆さんの中にも多くの人が知っておられると思いますが、アルジェリアをこよなく愛し、アルジェリアの発展を願い続けた、前アルジェリア特命全権大使の渡辺伸さんであります。渡辺伸さんは今年3月、アルジェリアの前途に思いをはせ、その将来を気に掛けながら永眠されました。その渡辺さんが亡くなる一ヶ月前に書かれたものです。題名は「投資市場としてのアルジェリア」です。この中で渡辺さんは、アルジェリアにとって海外からの投資はカンフル剤とはなるが、本当の経済発展のためには自ら社会基盤を作り、教育を通じた人作りに更に力を入れ、政治・経済的安定を計らねばならない。勿論外国投資への期待も良く解るが、まずは自国民による国作りにじっくり取り組むことが大切だと説いています。日本には「急がば回れ」ということわざがあります。余り性急に事を行うと失敗する恐れがある、じっくりと腰を落ち着けて対処した方が物事は却って早く実現する、という意味であります。渡辺さんは正に急がば回れの精神を言っておられるのであります。
また、渡辺さんはかつて駐在されたことのある或る国の具体例を挙げています。その国は日本で全く知られていなかった90年代初めに、東京に投資・観光センターを設け、毎年フリーゾーンへの投資誘致のためミッションを日本に送り続けました。当初数年間は見るべき成果はありませんでしたが、95年頃からその存在がよく知られるようになり、今やそのフリーゾーンに60社を超える日本企業が中東・アフリカをカバーする物流センターを設けるに至っている、というものであります。ここにも渡辺さんのアルジェリアに対する強い期待が込められています。これらの少々辛口のコメントは、アルジェリアを外から眺めたものではなく、アルジェリアの内なる一員として、主体的に誠実に、そしてアルジェリアに対する溢れんばかりの熱情と友愛を抱き続けた一人の日本人、渡辺伸さんならではの示唆に富んだアドバイスと、私には思われます。』

 このスピーチについて後日、日本からの参加者のお一人から寄せられたお手紙の中にこう記されている。「・・・大変感銘を受けました。特にクロージングスピーチでの、渡辺前駐アルジェリア大使に関する挿話の部分は非常に感動的であると同時に、同大使のお言葉としてアルジェリア側に自国の努力を要請される等、相手側の気持ちに配慮しつつ、こちら側の意を伝えられた点、感服いたしました。」

 一方、会議終了後のアルジェリア側主催の晩餐会の席でケリル大臣がこの意のあるところを良く理解していたということでもあり、もしかしたら、日ア政治・経済関係の今後の展開において、これが今回のミッションの最大の成果かもしれない。縁あってご退官後日揮の顧問として親しくさせていただいた故渡辺伸さんに謹んでこのことをご報告申し上げたい。

 一夜明けて19日はアルジェ近郊にある、IT・ハイテク研究開発都市を中核構想とするニュータウン計画の現地を視察した。そこはアルジェ南西約20km、Zeralda付近のゆるやかな丘陵地帯で、2000haの土地にIT・ハイテク企業、研究施設、住宅及び公共施設を備えた一大都市をつくろう、というもので現在住宅など一部造成中ではあるが大半はこれからというところ。現地でマスタープランの説明を受けた後、車で一部地域を案内されたが住宅の建物や入り口のアラビアンナイトのモチーフの装飾(といっても拙いペンキ絵)とか、コミュニティー施設としての子供の遊び場とか、要するにアルジェリア人として手が付け易いところから先に作り始めているといった感じで、例えばニュータウンで最も基本となり、且つ最も長い工期を要するtransportationインフラについては計画すら曖昧であり、とても開発計画全体の然るべきプロジェクトマネジメントが為されているとは思えない印象であり、却って合点がいった。但し、アメリカをはじめとしてカナダ、フランス、ドイツ、韓国など先を争って公的支援を実施しているようであり、この点日本の退避勧奨とODA凍結による出遅れ感は否めない。

 この日の昼食は現地の浦辺大使からご招待を受け、一行は日本大使館にて美しい樹々や花々に囲まれて優雅なひと時を過ごした。ここでミッションの公式行事は全て終了となった。昼食後はバスにてアルジェ市内を車窓見学し、独立記念塔では車から降りてブラブラと歩き、土産品屋も覗いた。夜は団長主催のディナーをEl Djeninaで開いた。夜にホテルから街中へ出かけられるまで治安は回復したということだ。“失われた10年”確認のアルジェの旅の公演はEl Djeninaの昔と変わらぬおいしいChorbaやTadjineに舌鼓を打つことでエピローグとなった。

 尚、翌20日、本ミッションのオプションツアーとして25名ほどがアルジェ南東約850kmのHassi Messaoudのプラント見学に参加した。好天と、SONATRACHの今度は全てオンスケジュールのしっかりした受け入れや素晴らしいゲストハウスでの宿泊と、サハラ砂漠の砂丘での戯れのひと時と、日揮の現地キャンプ施設での「いくら入り五目ご飯+讃岐うどん」定食のささやかなれど暖かなもてなしと・・・。参加ご一行様は至極ご満悦の様子でカーテンコールの一幕を堪能された。

 最後に付記したい、気懸りなことがある。それはケリル大臣の様子がどうも変であった。会議に同席した閣僚を持ち上げ、そのスピーチを褒め立てる。礼儀としては当然のことだが、何度もそれを繰り返す。数えただけでも4度、各氏ごとにやっていた。目に余る気の使いようと思われた。そして会議を突然中断して強引に実施した日本企業グループとのプラント契約調印式のパフォーマンス。聞くところによると、この日に合わせるべくここ数日間徹夜に近い交渉を続け、しかもまだ合意に至らない重要な契約事項を残したまま両者調印を先行させるという、これまでのアルジェリアビジネスでは異例の出来事であった。9年ぶりの大切な合同会議をハイジャックしてまでも強行した理由は何か?ケリル大臣はブーテフリカ大統領の昵懇の片腕として、アルジェリア経済改革の旗手として権力の中枢に座り、己れの信念に基づいて改革を進めてきたが、その手法がアルジェリア国民には少々性急すぎたのか、ここにきて大きな抵抗が起こり、厚い壁にぶつかっているように見える。FLN党首でもある現首相との対立関係も表面化してきた。彼が心血を注いできた“新ハイドロカーボン法”もいくら手直しして譲歩を見せても議会を通らない。彼の政策が行き詰まり、地位も脅かされてきた。ケリル大臣は焦っているのではないか。年明けに“新ハイドロカーボン法”がブーテフリカ大統領の決断で廃案になったというニュースが飛び込んできた。大統領は国家、国民の安定を優先して改革のテンポを大きくシフトダウンしたのか。ケリル大臣は失脚するのか。予断を許さない。数年後、再び“新たに失われたX年”といわれなければよいが。

(了)