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アルジェリア:国民議会選挙

吉田敦(よしだ あつし):パリ大学大学院博士課程在学中

 2002年5月30日、国民議会選挙が行われた。今回の国民議会選挙は,1991年12月、1997年6月につづき,3回目。議席数は前回の381議席から8議増設され389議席。ブーテフリカ大統領は国民に投票への参加を熱心に呼びかけた。だが選挙広報活動は困難を極め、アルジェのブザレ大学Bouzareah)で開催された1956年5月19日の学生蜂起記念式典に出席したブーテフリカ大統領は、多くの学生に罵声を浴びせられ、投石の雨の後、退出を余儀なくされた(『Le Figaro』5月30日付)。公表された投票率は、1962年の独立以来史上最低の46.09%を記録し、首都アルジェではわずか32%に留まる結果となった。

有権者総数 17,981,042
投票者総数 8,287,340(46.09%)
無効票数 876,342

(出所)『EL WATAN』5月31日、6月1日

 

  低い投票率の最大の要因はカビリー地方で展開された選挙ボイコット運動が挙げられる。ボイコット運動は、社会主義勢力戦線(FFS―Front des Forces Socialistes)の党首アイト・アハメッド(Hocine Ait Ahmed)、文化民主連合(RCD―:Rassemblement pour la Culture et le Democratie)の党首党首サイド・サアーディ(Said Saadi)が中心となって呼びかけた。両政党はカビリー地方を支持基盤とし、アールシュ(aarchs)と呼ばれるカビリー民族運動の推進母体としている。

 カビリー地方を中心とする民族運動(ベルベル語問題)が顕在化したのは、1980年の「ベルベルの春」に遡る事ができるが、2001年4月、ティジ・ウズで若者が憲兵に殺害されたのを切っ掛けに再び大規模な国内暴動として再燃した。暴動は数ヵ月間にも及び、鎮圧の際、総計115人の若者が死亡、数百人が負傷し、「暗黒の春」(le printemps noir)と呼ばれている。

 さて選挙当日、同地方では、機動隊や投票集積箱を運搬するトラックの到着を阻止するため、主要道路に廃材や瓦礫によるバリケードが市民により築かれ、治安維持軍による催涙ガスと若者を中心とした火炎瓶による激しい応酬が展開された。このためほとんどの投票所が午後3時には閉鎖され、アルジェの110キロ東方に位置するティジ・ウズ(Tizi Ouzou)では公式発表で投票率1.84%、ベジャイア(Bejaia)では2.62%と極めて低い結果となった。ティジ・ウズでは880の投票集積所のうち707カ所、ベジャイアでは488カ所のうち455カ所が閉鎖された(『Le Monde』6月1日)。RCDとFFS両政党は前回それぞれ19議席を獲得していたが、今回は選挙をボイコットしたため,当然のことながら議席を獲得していない。


  本選挙で注目されたのが、前回の64議席から199議席(35.52%)へと大きく議席数を伸ばした国民解放戦線(FLN―Front de Liberation National)の政治舞台への復帰である。他方、民主国民連合(RND―Rassemblement National Democratique (党首―アハメッド・ウヤヒアAhmed Ouyahia)は97年2月、FLNから分離し当時のゼルアール(Liamine Zeroual)大統領を支持する政党として結成され、わずか4ヵ月後の総選挙でFLNを抑えて155議席を獲得したものの,今回は48議席(8.5%)しか獲得することができなかった。


  穏健イスラム政党、ジャーバッラー(Abdallah Djaballah)が率いる国家改革運動(MRN―Mouvement de la Reforme Nationale)は43議席、ナハナハ師(Mahfoud Nahnah)の率いる平和のための社会運動 (MSP: ex-Hamas―Mouvement de la Societe de la Paix)は38議席を獲得、アダミ(Lahbib Adami)の再生運動(MN―Mouvement Ennahda)は1議席を獲得し、イスラム政党は全体として82議席(21.5%)を獲得した。


今回の選挙で目立ったもうひとつの動きは、女性党首ルイザ・ハヌーン(Louisa Hanoune)が率いるトロツキストの労働者党 (PT―Parti des Travailleurs)の躍進である。同党は、前回の4議席から21議席へ(4.8%)と大きく議席数を伸ばしている。PTの議席増加により、同党の入閣は必然視されているが、ハヌーンは「カビリのボイコット運動を酷評したのが功を奏した」とコメントしている。また同氏は,「RCDやFFSは政治的ボイコット運動ではない。彼らが行ったことは単に投票できなくするための国民に対する威嚇的な手段に過ぎない」と選挙前に両党に向けて非難宣告している (『EL Watan』5月30日)。


  右派新政党であるアリジェリア国民戦線(ENA―Front National Algerien)は8議席を獲得し、ミニ政党のアルジェリア新生党(PRA―Parti du Renouveau Algerien)、国民融和運動(MEN-Mouvement de l'entente nationale)はそれぞれ1議席を獲得した。

 無所属候補(Independants)は前回の11議席から29議席へと伸長している。


  本選挙の結果により、FLNとRNDの連立保守政権が389議席中247議席を占めることになり、新首相にはベン・フリス(FLN党首)の続投が報じられた。 独立後30余年間にわたり一党独裁をつづけてきたFLNは、「軍部に支えられた独裁政権」というレッテルが貼られ、過日,急逝された前駐アルジェリア日本大使渡辺伸氏が「アルジェリア危機の10年」のなかで指摘されているように特に西欧を中心とするマスコミには評判が悪く、フランスの報道機関は、ブーテフリカの失策とカビリー地方の問題を中心に報道をしている。しかし、この選挙を機にカビリー地方との国内分裂(dissidence)は極めて深刻になりつつあるのが明らかになっている(Jeune afrique l'intelligent, 10 juin 2002, p.45.参照)。


  FFS党首アイト・アハメッドは、「アルジェリア国民が必要としているのは選挙ではなく、尊厳のなかで生きることだ」と宣言し(『Liberation』5月30日)、RCD党首サイド・サアーディは、体制側の失策を抗議し、今次の選挙を「偽りの選挙劇」(mascarade electorale)と非難し、選挙のやり直しを求めている(『El Watan』5月31日、6月1日)。

 カビリー地方の選挙ボイコット運動があったにせよ、5割を切る低い投票率は、国民の社会的荒廃に対する疲弊、不満と停滞する経済状況への意思表明である。アルジェリア国内の失業率は30%台を記録し、若年層に至っては5割に達するとも言われている。また、炭化水素資源(石油・天然ガス)の輸出収益は2001年200億ユーロを超過しているが、国民一人当たりの実質所得額は、過去10年で3400ユーロから1700ユーロへと半減している(Marches Tropicaux et Mediterraneens, 7 juin 2002, p.1239)。

 また周知のとおり1992年のFIS非合法化以降、国民は凄惨なテロ活動に苦しめられ続け、これまでに10万人を越す犠牲者が出た。

 ベン・フリス首相は選挙の結果について「世論は我々(FLN)の足取りを支持し、その誠実さを認めるに至った」とコメントしている。 (Jeune afrique l'intelligent, 10 juin 2002, p.43.)

 同首相は、2004年に開催予定の大統領選挙も視野に入れ、「時代遅れの」FLNに若い世代や女性を登用(19人)し,、FLNの改革と「テロのないアルジェリア」(sans la peur)を目指している。アルジェリアの今後の動きに注目したい。