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アルジェリア・フランス訪問記

小堀 巖

 国連大学長ハンス・ヴァン・ヒンケル夫妻と私はアルジェリア政府の賓客として2005年1月3日から8日まで大変心温まる接遇を受けました。今回の公式訪問はアマール・ベンジャマ駐日アルジェリア大使のご配慮によるものであり、また、昨年12月のブーテフリカ大統領の訪日直後の訪アであったので、関係各地において、きわめて有益な意見の交換を行うことができました。
  ヒンケル学長は、元アルジェ市長であったシェリフ・ラフマニ氏が大臣を務める国土整備・環境省が音頭を取ったロジに沿って、まずモハメッド・ベジャウィ外務大臣を表敬し、教育省、農業省などで計4人の大臣と意見交換を行いました。1月4日にはアルジェリア外務省内の外交、国際関係研究所(IDRI)で国連大学の活動について講演を行いましたが、外務省関係者のみならず、ベンサレム首相顧問をはじめ若手外務官僚など出席者は皆、熱心に聞き入っていました。

  また、ガルダイア県知事の招待により、現地を視察し、現在建設進行中の、「代替エネルギー研究センター」や来年事務局が当地に開設される「世界沙漠財団」を訪問しました。
  滞在を通して最後の日にラフマニ大臣とヒンケル学長との間で今後の協力テーマについて覚書が交わされました。そのテーマは:

1) 砂漠化
2) 民主化問題
3) 紛争解決
4) 教育

です。
  外務省での講演の日に、急遽ブーテフリカ大統領との会談が実現し、当初10分の予定が結局45分にもなり、主に沙漠化の問題が話し合われました。( 現在、日本で開催中の「愛・地球博」で4月16日のアルジェリア・デーでもその課題が取り上げられました。ちなみに6月27日は国連のナショナルデーであり、名古屋大学に於いて国連大学とユネスコ共催で「自然と英智」をテーマに宇宙飛行士の毛利さんも出席してシンポジウムが開かれます。)
  ガルダイアに行った時には、1992年、アルジェリア独立30周年記念を兼ねたユーロ・アラブ移動大学主催の砂漠化会議の時に出会ったNGOの関係者とも再会を果しました。
  私はアルジェリアのナディア・シェラビ女史監督の「イン・ベルベルの日本人」という映画に出演しましたが、今回、行く先々で、そのフィルムを見たという人々から声を掛けられ、驚くとともにメディアの力を感じました。
  首都アルジェの雰囲気も、この3年間毎年のように行っていますがすっかり正常化しているという印象を受けました。
  その後、引き続き環境省の招待により、ビスクラとエル・ウェッドに向いました。ビスクラにはサハラ科学技術研究センターがあり、その所長のカマル女史とは20数年ぶりの再会でした。ビスクラ大学は比較的新しい大学ですが、サハラ研究の中心として「なかなかやってるぞ」という印象を受けました。
  1月18日から2月3日までの間、今度は1人で、先ほど述べた映画の舞台、アドラール県アウレフのイン・ベルベルで過ごしました。 EC主催のファガラに関するシンポジウムが開かれました。 参加したアルジェリア、イタリア、テュニジア、オランダ、スペインそして日本の代表がアルジェリア政府に対してさらに研究を深めるよう要請したところ、ワリ(県知事)の決断でフォガラの保存研究の会が県の予算ですぐに立ち上げられました。このEC主催のプロジェクトとは、地中海沿岸諸国の国際交流を深める観点から水の問題をテーマに、東京大学のフォガラ研究に触発されたEC委員会役員のブナガ女史が始めた事業です。コーディネーターはヨーロッパからバリ大学のラウレアーノ教授が務め、モロッコ、スペイン、アルジェリア、テュニジアなどからも積極的な参加があり、私はエキスパートとしてアドヴァイスをすることになっています。
毎年2回、フォガラの研究を発表する場になっていますが、今回私は「イン・ベルベルの日本人」を紹介がてら上映しました。その他にもアウレフの高校、現地イン・ベルベルとマトリウンヌのザウイア(集会所)で計4回上映しました。アウレフの国立農業研究所で上映した際は観客から面白い質問も多々あり、中には元JICAの研修生が日本語で質問することもありました。
その後、アルジェに戻り、旧知の考古学先史博物館館長に表敬訪問した後、フランスのエックス・アン・プロヴァンスに向いました。エックス大学文学部の講堂で再度映画を上映しましたが、学生を主に約200人の観客が集まり、東京日仏会館の元館長セッカルディ氏、マルセイユ学術院のバルビエ会長らも来てくれました。映画は大成功で涙を流して感動している人もいました。 この上映会は小林政雄マルセイユ総領事が多大な貢献をしてくださり、現地の新聞のインタビューなども受け、紹介されました。
  帰国を前にユネスコの世界文化遺産であるタッシリ・ナジェールの壁画を世界に知らしめたCNRSの主任研究員故アンリ・ロット氏のお墓参りのため、ロワール地方のシュノンソーに向いました。ロット氏とは40年以上の付き合いがありましたが、ほんのひと時ではあれ、未亡人と積る思い出話をできたのは幸運でした。