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その後の「アルジェリア情勢」
〜 短期視察旅行の印象 〜

私市正年

 内戦がおさまりかけてから、私は2002年12月〜2003年1月、そして2003年3月にアルジェリアを訪れた。それに続く今回のアルジェリア調査旅行は2005年3月4日〜13日までの短期間ではあったが、研究上だけでなく、個人的な体験という点でもたいへん印象深いものがある。


たくさんの果物や野菜が並ぶ青果店
(アルジェ、エル・ビアル地区)

 その第一は、今年末からアルジェリアに長期滞在を予定しているが、そのための足がかりができたことである。1990年代内戦後のアルジェリアの研究機関の情報が入らず、はたしてアルジェリアに長期滞在することは可能なのか、またその意味はあるのか、不安に思っていたが、それは杞憂であった。というのも今回の滞在期間中に訪れたアルジェ大学のCREAD(応用開発経済研究センター)や文学部・史学科でも、またコンスタンティーヌ大学のLERSH(社会史調査研究所)でも10年間の混乱による遅れを取り戻そうとして教師や学生たちが懸命に研究にとりくんでいるように思えたからである。それと同時に、CREAD所長Yassine FERFERA教授、史学科Aicha Ghettas教授、LERSH所長Kamel FILALI教授らが初対面の私を暖かく迎えてくれたことは今後のアルジェリアでの研究をおおいに勇気付けてくれた。

アルジェ大学ブーザレア・キャンパス


国立図書館(アルジェ)の閲覧室


コンスタンティーヌ大学LERSH(社会史調査研究所)スタッフ


 二つ目は、イスラミストの拠点とされたモスクや街区、あるいは1997年ころ激しい虐殺事件の起こったいくつかの町を訪れることができたことである。たとえば1988年の暴動の出発点であるベルクール地区のカーブル・モスク、大衆の不満の象徴的施設リヤード・アルファトゥフ、FISの正式結党宣言がなされたクッバ地区のイブン・バーディース・モスク、大虐殺の現場となったベンタルハ、またテロリストの拠点とされたバラキ地区、ユーカリュプツス地区などである。アルジェリア内戦がどんな社会的生活環境から出現したのか知りたいと思っていたのでこれらの現場の訪問ははらはらするような思いもあったが、非常に興味深かった。アルジェリア内戦については既に見解はまとめたが(『北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史』、白水社、2004年<2005年再販>)、現場を知ってからはもっとつっこんだ考察をしてみようと思っている。テロの嵐はおさまったようであるが、その後の情勢については不透明であり、この問題についてはいずれ私見をまとめるつもりである。

FISの正式結党宣言がなされたクッバ地区のイブン・バーディース・モスク


 さて、アルジェリア情勢の一般的な印象であるが、昼間であれば、どこの地域でもそれほどの危険は感じられなかった。危険さの程度はニューヨークやパリの街中を歩くのと大きな差異はない。もちろんテロは完全にはなくなっていないし、また未解決の失業問題からくる強盗やすりは多いので細心の注意は必要である。気になったのは、政治問題ではなく異常な交通渋滞と道路横断の危険さである。午後の4時過ぎに車でアルジェ市内を移動するとなると、狭い坂道を埋め尽くした車で大渋滞がおきる。毎日である。渋滞がなければないで、車が異常なスピードで走ってくる(交通信号は極端に少ない)ので道路横断は命がけである。

  何れにせよアルジェリア情勢は落ち着きつつあるので、1970年代〜80年代のように日本とアルジェリアとの活発な交流が再開されることを望みたい。