ニュース
アルジェリア国内ニュース
読み物
日本とアルジェリア
人物往来
出来事
私とアルジェリア
私と日本
紹介
論文
センター概要
アルジェリア大使館関連
アルジェリア関連リンク
お問合せ

ニュース

無形文化遺産保護条約 第2回政府間委員会
無形文化遺産保護条約締約国総会議長
モハメッド・ベジャウイ閣下 開会の辞

東京2007年9月3-7日

ユネスコ総会議長、
執行委員会委員長、
事務局長、
閣下、ご臨席の皆さま、

この度、松浦事務局長のご招待にあずかり、この第2回政府間委員会に参加する機会に恵まれたこと、誠に光栄であり、深く感謝いたしております。

本日我々を迎え、この分野において模範的な経験をもつ日本を語らずして、無形文化遺産とその必然的な保護について語ることができますまい。本来なら6時間必要としているところに6分間しか持ち時間がないため、これに続く議論がより強く息吹き始めることを期待しつつ、日本の有意義で豊かな経験にしばし触れることにとどめたいと思います。

ご存じのように日本は、無形文化遺産、即ち各国の国家としてのアイデンティティーや各民族の心を保護するための込み入った交渉や国際規範の道において、中心的な指導者として、そして質の高い貢献者として活発な役割を果たしてきたことで評価されてきました。

このような日本の無形文化遺産への深いこだわりに如何なる根拠があるのでしょうか。

非道な原爆によって敗北した日本は、その独創性と労働力によって繁栄した風土への自尊心から、死ぬことを、諦めることを考えませんでした。八千代に亘る鎖の「わ」を織り成すことで、とりわけ苦境に立たされた当時の世代の現在・過去・未来を維持し、自らの確立を可能ならしめました。残酷な歴史に翻弄された国民は、精彩溢れる見事な意識をもって、無形文化遺産の保護こそが民族と国家の絆の維持につながることを理解したのです。正に「日本の陽気な精髄」の現れと言えるでしょう。

再び国際社会の一員として活躍できるに必要な経済などの物質的な再建を怠ることなく、日本は優先的に無形文化遺産の保護法の確立に取り組みました。人間社会は男女の宿命を決定する風土への情熱なしに成立するはずもなく、そこに絢爛たる格調が備わらなければなりません。日本を苦境のから救ったのは正に「無形」へのこだわりでした。死を恐れず、生の道を最も洗練された形に仕上げることに専念して日本は自らの精神を救ったと言えましょう。

アジアの国、アジアの中の国でありながら、日本は特別な国です。アジアに属しているとは言え、日本は地球を飾る列島としての地理的条件に甘んじながら、伝統を維持する洗練された近代国家として独立したひとつの大陸を成しています。多様な列島によって構成された日本国家は、輝きを失わせることも破壊することもできない至宝としてまとまっています。自然や歴史の脅威に晒されながら、誇れるアイデンティティーを失わずに国際社会において優位を保ってきたことで、日本は世界から尊重され注目され、列島の住民は常に自然の「叡智」を崇め、生活の知恵を見出してきました。はかりしれない神秘の宝庫となっているアジアの神話の賜でしょうか。恐らく保護され正統に活かされた無形遺産の崇敬による奇跡なのでしょう。

ロビンソン・クルーソーの冒険物語より10世紀以上も前に、日本で最も古い文学作品のひとつである『宇津保物語』は、遠い島に難破した清原俊蔭の伝説を物語っています。
天山や仙人から名琴の秘曲を授けられた主人公は、その才能から繁栄を約束されるが、正に無形文化遺産を称えた作品と言えるでしょう。

また、私が30年以上も前にうっとりしながら一夜にして読んだノーベル文学賞受賞作家川端康成の『千羽鶴』は、言動に秘められた女性の心を解き明かしています。細部の亘って作法化された茶事に倣って、二つの存在が出会い、半透明の器を覗いて見える互いの澄んだ感受性を確認しながら少しずつ深まっていく愛情を描いたこの作品は、芸術や創作が如何に真剣で厳粛な遊びの表現であるかを示してくれるでしょう。川端は洗練された技法をもって無形の作法を愛に至らしめる戯れとして登場させています。つまり真剣で厳粛な遊びが存在に深入りし、非日常的で時空の外へ逃避する瞬間と化するのです。

秘蔵の錬金術をもって近代精神を導入しつつ伝統的な価値観を昇華させた徳川幕府の江戸時代が残した芸術作品を前にして、ひとつの作品にとどめて日本を語ることはできません。不動のまま移動して台詞を歌うように見える能役者、女形の化粧ひとつが完成された芸術を現す歌舞伎、軽妙な三味線に伴われる文楽、優雅で感受性豊かな美学をもって普遍的な無常を現す繊細な浮世絵、鷹揚な伊万里焼、研究しつくされた生け花、儚きを象徴する桜の季節に行われる花見の儀式、俳句の祖先であり律動的な三句と金碧の十七文字彩られる短歌など、挙げ数えたら切りがありません。

生きる道を極めた素晴らしい宝庫に無数に収められている逸品を網羅して、人間のみならず、植物や動物までもが享受する「粋」を覧るのをこの辺で諦めましょう。
松尾芭蕉も詠っているように、

≪蘭の香や 蝶の翅に 薫き物す≫

そう、いつの時代も木を彫刻して大理石に昇華させた日本職人の技量に敬意を表するのを諦めましょう。足の指で筆を操る術を知っていた偉大な雪舟の画に触れるのも諦めましょう。8世紀に4500首もの歌を集めて編集された『万葉集』について言及するのも諦めましょう。

そう、三島由紀夫、井上ひさし、川端康成、谷崎潤一郎、大江健三郎、ノーベル文学賞受賞作家でもある村上春樹など、伝統と近代の実り豊かな緊張の偉大な詩人たちを二言三言で捉えることはできないでしょう。そう、その見事な作品『陰影礼賛』の中で人間の濃密な感情を囲む曖昧な金褐色を描いた巨匠谷崎潤一郎に触れるのも諦めましょう。

私のような素人の中の素人が試みた日本の魂が息吹かせた「無形の大系」は、流れ去る瞬間のかけら、取るに足りない時の微粒子以上の価値があると確信してなりません。日本の格言に救われて、心残りとお詫びの言い訳に、何もかも「言わぬが花」だったことにしておきます。

皆さまのご厚情に甘えて、招待国の豊かな無形文化遺産についてざっと目を通しただけの表面的なつかの間の上空飛行も、世界の無形文化遺産保護の実効的な方針を立てる上で、志高く活動を開始するための閃きと刺激に貢献することを期待しております。

自らの無形文化遺産を愛し保護することで、誰もが世俗的な時間の中に根を残しつつ日常を忘れて夢中になるものです。そして国家的同胞愛の中でこそ、サガンが「人情のやさしさ」(注1)と表現した充実感を心から味わうことができるのです。

最後になりましたが、人間の条件に付随する苦悩を超えて、人間においてこそ最も心地よい故郷が見出せるものだと皆さまも確信していることと存じます。最後の不条理ながら、我々がその情熱的な躍動を体現しつづけています。人間の未来は自らに忠実な人の処世術に収められているのは確実です。正にこれが「地上の楽園」に住む日本人の叡智、つまり我々の誰もが子に生まれ、やがて親になることを常に念頭に置くことなのです。かくして、歴史の栄枯盛衰の傍らで不朽を構築するものの任務が確立されましょう。

注1:フランスワーズ・サガン著『絹の瞳』1975年