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〜アルジェ便り その1〜
アルジェの4月5月とマウリド(ムハンマドの生誕祭)

桜美林大学教員
アルジェ大学CREAD客員研究員
鷹木 恵子

 アルジェの4月は、気まぐれな天気の日が多い。朝、少し曇ってはいるがさわやかな天気だと思っていると、昼には強い日差しが照りつけ始めて暑くなり、しかし午後の夕方近くには冷たい雨が降り出して、セーターが欲しくなり、さらにそれが夜には強風も伴った嵐となって、その唸るような風の音になかなか寝付かれないといったような具合である。こちらの人は、そんな天気の変わりやすい一日を、「一日に4つの季節quatre saisons dans une seule journee」と表現したりもする。

道行く人々も、オーバーを着てブーツを履いている人から、単なるスーツ姿の人、さらには半袖のTシャツにジーンズというスタイルの人まで、実にさまざまである。日本人からすると、4月になってもオーバーというのはやや着込みすぎのようにも思うのであるが、アルジェの人は、こうした変わりやすい天気に用心してか、En avril, on ne leve pas un fil, et mai, mets ce qu’on met. という韻を踏んだフランス語での諺をよく口にする。すなわち、「4月のうちは一糸たりとも脱ではいけないが、5月になったら、着たいものを着てもよい」といった意味である。

 こんなに変化の激しい天候であるのだから、植物にしてもいつ花を咲かせていいものやら迷いそうなものであるが、しかし、4月には薄紫色の藤の花がとてもきれいであったのが、5月には、気がついてみると、街角には赤紫色のブーゲンビリアが目につくようになっており、草花は天候の気まぐれさにもかかわらず、自然の移り変わりをしっかりと心得ているようである。5月に入って、もうひとつよく目にするようになったものが、薄い橙色をしたびわの実である。チュニジアやモロッコでは見かけたことがなかったびわの実を、アルジェでは家の庭先などにたわわに実っているのをよく見かける。フランス語でびわの実のことをnefle du japon というように、その起源は日本であるともされているが、アルジェリア人にアラビア語でのこの果物の名前を訊ねてみたところ、アルジェリア方言ではムシャムシャーというのだと聞いて(注1)、思わず、顔をほころばせてしまった。

 そんな4月から5月にかけて、ちょうど日本のゴールデンウィークにも相当するころ、今年はアルジェリアでも4日間の連休があった。4月29日と30日は、それぞれ木曜日と金曜日であるので普通の週末であったが、5月1日(土)はメーデーのため休日で、そして2日(日)はイスラームの預言者ムハンマドの生誕祭、すなわちマウリドのための祝日であった。

 4月下旬頃から、町の市場では、花火を売る店が見かけられるようになり、それが4月末には、市場の入り口付近一帯を占拠するようにもなって、普段並んでいる野菜や果物の露天商の姿はすっかり消えて、大小・色とりどりの花火や爆竹、香やローソクを売る店々へと早変わりしてしまった。これもまた日本人の感覚で、花火の季節には早いのではないかなどと思っていたところ、実はこれはマウリドを祝うためのものであった。

 マウリドは、チュニジアでは祝ったことがあったが、アルジェリアでそれを祝うのは初めてで、そしてこのイスラームの祝日を、同じマグリブ諸国でも、しかも隣国であっても、それぞれ異なる流儀で祝うということもここに来て初めて知った。

 チュニジアでは、この日にはアシーダ(‘asida)という小麦粉とまたズグーグ(zugug)と呼ばれる木の実の粉末から作ったプディングにも似た食べ物を食する習わしがあるが、アルジェリアでは、タミーナ(tamina)という煎った小麦粉に蜂蜜とバターを加えて甘いお菓子のようなものと(注2)、リシタ(rishta)というややラーメンにも似た麺に、鶏肉を煮込んだ塩味のシチューをかけた料理を食する(注3)。そして、その他にマウリドの前夜の恒例行事となっているのが、爆竹ならしと花火であった。マウリドの二・三日前から、既に道ばたでは時折バンバーンという爆竹の音がしたりていたが、マウリドの前夜には、日没頃からあちらこちらで爆竹の炸裂する音が途切れることなく聞こえ始め、同時に打ち上げ花火もみられるようになり、その華やかさと騒々しさについつい誘われて、家の屋上に上がってみたところ、これが爆音を伴う花火が隣近所から飛んできたりもするので、下宿先の友人や大家さんの家族などと一緒に、悲鳴をあげて身をすくめたり、それでも外で何がおきているのか見たさに、及び腰でのぞいてみたりと、そのスリルと興奮を楽しんでしまった。

 大家さんのご主人の話では、この住まいのあるあたりは住宅街なので、まだまだたいしたことはないが、下町(quartier populaire)などに行けば、こんなどころではなく、もっと華々しい模擬戦のような騒ぎが一晩中続くのだそうだ。しかも、毎年、爆竹や花火で多数の怪我人も出るらしく、こうした慣行を危険だと非難する声がないではなく、そもそも爆竹は法律で禁止されているという人さえいるが、それでもアルジェリアでは、みんな毎年、マウリドをこうして祝うのだという。ただし、テロが吹き荒れていた時期は別だったそうで、その時期には夜間禁止令が発令されており夜10時以降の外出は禁止だったことから、マウリドのこうした行事もすっかり下火になっていたという。

そんな話を聞いた後では、バンバンとなる音も、隣近所から飛んでくる花火の火の粉も、今やアルジェリアがすっかり平和になったことを象徴していることのように思われ、マウリドとともに何よりもその平和の訪れを彼らとともに心から祝いたい気持ちになっていた。

 

マウリド用の爆竹や花火を売る屋台

注1 正確には、ミシィムシャー(mishimusha)と発音するとのことである。
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注2 タミーナと共に、卵と小麦粉、バター、蜂蜜で作ったムシューシャ(mushusha)というクッキーに似たお菓子も作ることがあるという。いずれも、出産後の女性が体力を回復し、また母乳を出し易くするのに効果があり、ムハンマドの母親アミーナも食したとされている。
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注3 アルジェリアでも、地方によってこの日に作る料理は異なり、地域によってはクスクスを作ったり、シャフシューハ(クレープのような薄いパンを細かく引き裂き、その上にシチューをかけた料理)という料理を供するところもあるとされる。
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