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フランスにおける「アルジェリア年」

桜美林大学教員
アルジェ大学CREAD客員研究員
鷹木 恵子

 2003年は、フランスにおける「アルジェリア年 Annee de l'Algerie」であったこともあり、3月のシラク大統領のアルジェリア訪問に始まり、さまざまな分野での交流がみられた。パリのセーヌ沿いにあるアラブ世界研究所(L'Institut du Monde Arabe、以下IMAと記す)でも、アルジェリアに関する二つの興味深い展覧会があった。L'Algerie en heritage(「アルジェリアー その歴史遺産」)とDe Delacroix a Renoir, l'Algerie des peintres(「画家たちのアルジェリア―ドラクロアからルノワールまで」)と、それぞれ題された展覧会である。2003年9月7日から2004年1月24日までの予定で開催されたが、好評であったため、前者については2004年4月4日まで会期が延長され、幸運にもその終了間際の4月2日にその展覧会を見る機会があった。

IMAの季刊誌 Qantara Magazine des Cultures Arabe et Mediterraneenne のアルジェリアの特集号(2003年秋、No.49)の表紙。
絵は、ピエール・オギュスト ルノワール 1881年作 La Mosquee dite Fete arabe a Alger, la Casbah(アルジェ・カスバにある「アラブの祭り」と呼ばれているモスク)パリ・オルセー美術館所蔵。”


  常設展示と平行して行われていた特別展示であることから、格別に広いスペースをとったものではなかったが、アルジェリアの先史時代から独立の頃までの豊かな歴史文化遺産を、手際よく整理した好感のもてる展示であった。入り口近くにあった年表は、なんと1億8000万年も前から始まっており、その頃のホモ・ハビリス(Homme Habilis) ※1と命名された類人猿の遺跡がアルジェリア東部から出土したとされていた。またアルジェリアの古代の遺物のなかでも、とりわけ印象深かったのは、紀元前4〜3世紀頃のものとされるベルベルの壺で、茶系の地に焦げ茶色で描かれた幾何学的な文様は、現在でもアルジェリアやチュニジアなどではよく見かけられるようなベルベルの壺で、その頃からの連綿とした歴史的な繋がりにあらためて感じ入らずにはいられなかった。ローマ時代のモザイク、アラブ・イスラーム時代に入ってからの宗教文化遺産、オスマン帝国期のアルジェリア、そしてフランスによる植民地化とそれに対するアルジェリア人たちの抵抗。パリからアルジェへと発つその日の朝に、このような展覧会に巡り合わせたことは、本当に幸運なことであった。

 「画家たちのアルジェリア」の展覧会の方は残念ながら見ることはできなかったが、その展示との関わりで出版された幾つかの書籍や雑誌を入手することはできた。IMAの季刊誌でアラビア語で「橋」を意味するQantaraも、2003年の秋には「画家と作家たちのアルジェリア」と題した特集を組んでいる。

 その日の夕刻、アルジェに到着した。アルジェリアでは、目下、4月8日の大統領選挙に向けて、国中が選挙戦で盛り上がっていた。女性の候補者1人を含む6人の候補者が大統領選に立候補していたが、大勢の注目は現職のブーテフリーカ大統領か対抗馬として有力視されていたベンフリース候補かという点に集まっており、しかし現職大統領の強みもあってか、アルジェの町中はほとんどブーテフリーカ大統領のポスターで埋め尽くされており、青みがかった現職大統領のポスターが、候補者公示の場所のみならず、文字通り「所構わず」、ありとあらゆる建物の壁や戸口、電信柱や公園のベンチ、さらに舗装道路の上にまで張りめぐらされていた。結果は、ブーテフリカ氏が83.49%の票を獲得して圧勝に終わった。ただ投票率自体は58.01%に留まり、またBeja病 やTizu Ouzouのように投票率がそれぞれ16.10%と18.38%とほとんどボイコットに近いような地域もあったが、しかしアルジェリアの大半の人々は、今回の大統領選挙が一昔前の選挙の再現とはならず、とにかく公正にそして大きな衝突もなく滞りなく平和裏に済んだことを大変喜んでいるようであった。

 そしてこの選挙の熱気を冷ますかのように、翌日からはそれまでの夏日を思わせる暑さから一転して、冷たい雨が降り出し強風が吹いて、暖房を入れてオーバーを着込むほどの寒さとなった。しかしその選挙投票日からちょうど一週間後の4月15日に、フランスのシラク大統領のアルジェリアへの電撃訪問があり、ブーテフリカ大統領の再選を祝福し、また両国の首脳が熱い握手を交わして、フランスとアルジェリアの二国間の友好と協力関係を確認するという出来事があった。私のなかでは、フランスの「アルジェリア年」がまだ続いているような気がしていた。

※1 出土した地名を付して、Homme de Ain el-Hanecheとも呼ばれているとされる。