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マツダとの関係:その経緯とコメント

レダ・ハミアニ氏
(アルジェリア元中小企業大臣経営者連盟副会長 会社社長)
(編集部注:筆者はアルジェリア私企業経営者団体副会頭も務める少壮実業家。マツダとの交渉が多くの文書のやりとりやその他でいかに労力と時間を要したか、そして最終的には価格で折り合いがつかず、また、納期の問題もあったりして結局契約はご破算になったとの記録的読み物。アルジェリア・サイドから見た日本企業との交渉の難しさを物語るものとして日本企業にとって参考になるのではなかろうか。)


  世界的な名声を誇る自動車メーカー、マツダとパートナーシップを組み、アルジェリア市場にカムバックさせようと試みたが残念ながら、失敗に終わった。まず始めに大事なこととして申し上げたいのは、アルジェリアにおけるマツダのイメージは最高のものであるということ。それは数千台にものぼるこのメーカーの車が20年以上も前のものでもいまだに走り続けていることから裏付けられている。

 その中でもっとも人気を集めたモデルは疑いなく"ピックアップ"で、1981/82年当時、プジョー504が不動の地位を占めていたマーケットに、さっそうと現われたのだった。人気は上昇し、特に504がモデルチェンジでストック切れした際、どんどんシェアーを伸ばした。より一般的に、マツダをアルジェリア市場に入れたのは国営のソナコム社で、その財政力は大きく、オラン、アンナバ、コンスタンティーヌといった主要都市に拠点を持ち、アルジェリア全土をカバーできるネットワークも持っていた。

 しかし、マツダの困難は、ソナコム社のそれと同時期に始まった。特に経営がヘタだった国営企業の多くは、財政当局の絶え間ない、そして度重なる財政支援を受けていたにもかかわらず、段々と、そしてますます、困難におちいった。 他方、1990年から92年にかけて、フランスのメーカー、プジョーとルノーは現地の私企業とパートナーシップを組んだり、子会社を設立したりして、アルジェリア市場へ直接参入に踏み切った。 これは一方で、韓国のDaiwooが他のメーカーが留守がちなことと、ダンピング的な価格設定を当時からすでに始めることによって、市場に積極的に参入してきた時期と重なる。

 マツダはというと、すでにその頃はもう、シェアーも低く、輸入もされず、宣伝も皆無で消費者側も、その間D.V.Pと社名変更をしたソナコム社とのビジネスもすっかり忘れていた。市場に供給が少なくなっているなかで、D.V.P/ マツダは、価格を低く設定する政策をとっていた: ピックアップは中型セダン車の買いやすい価格で売られており、そのレンジではマツダ以外に競合メーカーはいなかった。

 1998/1999年頃、マツダに興味を持った私は、当時の渡辺日本大使に相談し、マツダのエージェントを務める会社は、アルジェ市の治安情勢が悪いため、テュニスにあることを知った。アルジェ市内での唯一のコンタクトは、ベニイェレス夫人という、すてきだけどあまり決定権は持たない女性がリエゾンオフィスを細々と続けているとのことであった。そこで、コンタクトをということになると、アルジェにそのトーメンの責任者が出てきた時に会うか、またはこちらからテュニスまで出向かなければならないことになる。それならば、ということで、私はテュニスに出向き、コンタクトを付けることができた。

 そこから、やれ、ドキュメントだ、ケーススタディーだ、あるいは、私に関する身上調査で果てしない数のやりとりが始まった。この期間は1年以上にもなり、かつ、マツダの経営陣に加わったフォード社のスタッフによって、一時は検討作業は振り出しに戻された。

 マツダ側はアルジェの新聞にエージェント募集の広告を出し、我が社も再度アプライして、改めて、我が社がもっともふさわしいということに落ち着いた。全体的に、この交渉の期間は2年くらい、またもや、数知れない書類を要請され、その間人事で交代したトーメンの社員を含め、数々のアポイントがあった。結局合意に至ることはできたが、私が入れたかった車種のオファーをもらうまでまた3ヶ月は待たされた。と、思ったら、ここで更なる問題が生じた。

 第1は価格の問題である。日本円が過大評価されているという困難な状況のなか、マツダの価格は他の競合メーカーのそれにくらべて、2割から3割高かったのである!アルジェリア市場でのマツダの競合メーカーとは、トヨタであり三菱である。私としてはマツダの提案する価格に対して、マージンはできるだけ低く設定したのだが、マツダは自社の商品の価格帯位置づけをあまりにも高くし、私にとってこのままビジネス・交渉を続けるのは危険にさえなってきた。

 私が調査会社に依頼して作成したレポートに基づいて、トーメンもマツダ本社に評価額を下げるよう働きかけてくれた。マツダ価格を競合社の価格にできるだけ近づけようと、数々のプロポーザルが行われたが、残念なことに、成立しなかった。
やはり、アルジェリア市場に充分くい込むためには、価格はまさに最大の問題である。メーカー側の出し値に最低のマージンを付けて売ったとしてもローカルエージェントとして、シェアーを広げることはできないし、従って、メーカー側の期待する販売目標を達成することは不可能である。

 第2の問題は、注文車製造期間とデリバリーまでが長すぎるということ。商品を注文してから届く間、支払いは済ませてあるのに、4ヶ月も待たなければならない。言い換えれば、4ヶ月もの間、見返り無しで、資金を固定化しなければならない。この待機期間では、即引き渡しという、現在どのディーラーも行っている販売条件にまったく合わないことになる。

 また、マツダ側はなんらの援助もサポートもしてくれない。宣伝費を含めすべての出費、必要経費はローカルエージェントの負担である。それとは別に、現地の銀行は外国の銀行を含めて、車の輸入・販売は主に、商業的活動であるとして、特に、援助はしてくれない。

 結論として、私がこのビジネスに参入するのをやめたのは以下の理由からである。

  • 競合メーカー(特に日本車)とくらべて、高すぎる価格。
  • ロジ的、財政的、営業的な支援が一切ないこと。
  • デリバリー期間が長すぎる。(4ヶ月以上)
  • 現地の銀行から支援が得られないこと。