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凄惨なテロに苛まれるアルジェリア国民

アフリカ情報通信(http://www.africanewsletter.com/index.html)
編集発行人
吉田 敦

 昨今アルジェリアで凄惨なテロが散発している。アルジェリアで最大の武装勢力に成長した「布教と戦闘のためのサラフィスト集団」(GSPC:Group Salafite pour la Prediction et le Combat)は、2006年9月にかねてから連帯を表明していたアルカーイダ(Al-Qaeda)への正式加入が認められ、2007年1月に組織名を「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ組織」(Organisation d'al-Qaeda au Maghreb Islamique)に変更した。2007年は同組織が首謀者となった大規模なテロが次々と実行された。

  2007年4月11日、首都アルジェの中心部の首相官邸付近と警察署に対する2件の同時爆破テロでは、33人が死亡、222人が負傷した。この事件は、アルジェリア国民に約15万人の犠牲者をだした1990年代の暗黒時代に逆流するのではないかという恐れを抱かせた。アルジェ市民はすぐに数万人規模のデモを組織して、国民の意思を内外に示した。テロリストへの恩赦と平和への決意を表明した「平和と国民和解のための憲章」の採択から2年余り、アルジェリアでは依然としてテロの根絶には至っていない。

  3カ月後の7月11日には、アルジェリア北東部ラクダリア村の軍宿舎で、乳製品の早朝配達をおこなう冷蔵庫車に偽装した車輌が爆発し、軍関係者を中心に10人が死亡、40人以上が負傷した。更に続く9月6日、アルジェから450Kmに位置するバトナ県バトナ市においてブーテフリカ大統領による遊説を予定していた集会広場にて自爆テロが実行された。同テロでは22人が死亡、107人が負傷した。
  同テロを受けてブーテフリカ大統領は「自らが大統領に就任するまでに、長い間、アルジェリアで発生している危機について熟慮を続けた。その結果、唯一の解決策は国民和解の道を歩むしかないと考え、そしてアルジェリア人は自らの手で決断を下した」と述べ、負の連鎖への決別を改めて表明した※1。

  しかし、これを嘲笑うかのようにわずか2日後の9月8日、ブーメルデス県のデリスにて、海軍沿岸警備隊の兵営でトラックが爆破し30人が死亡、47人が負傷した。9月10日付けのアルジェリア国内紙(El Watan)は、テロの実行犯が15歳の青年であったことを報じている※2。青年の祖父母は、同青年を「非常におとなしい、行儀のよい最愛の孫であった」と述べ、隣人の証言によれば、サッカーが好きなごく普通の青年であった。彼は政治の話はおろか、政府、政党について一度も議論したことはなく、あるときからモスクに通うようになったものの高校を欠席することなかった。青年はテロ決行前夜に突如として姿を消し、その夜、祖父母の携帯電話に助けを求めて連絡をしていた。青年はテロ組織から受ける恐怖のなかで800Kgの爆発物とともに兵営宿舎に突入した。

  2007年12月11日、再びアルジェのベン・アクヌン地区の憲法評議会とヒドラ地区の国連事務所前で同時自爆テロが発生し、37人が死亡、177人が負傷した。憲法評議会の前では学生輸送用バスが爆発し、国連事務所前ではタンクローリーが爆発した。2007年に実行された大規模なテロは軍や警察署、憲法評議会、国連ビルなど国家を象徴する対象が標的となっており、テロ組織が定期的に、かつ大規模なテロを実行する能力があることを内外に示すことが目的という見方が強い。同テロを受けて、ベルカデム首相は「いかなる理由をもってしても正当化することはできない」と断固としてテロと闘う姿勢を示しているが※3、過去の悪夢に苛まれるアルジェリアの国民感情を払拭することはできていない。

1 Liberte, 2007.09.08
2 El Watan, 2007.09.10
3 El Moudjahid, 2007.12.12.

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