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アルジェ日本人学校・今昔
―雨風(あめかぜ)13年、卒業記念壁画の復活―

大月美恵子(元・在アルジェリア日本大使館専門調査員)

 アルジェ日本人学校の卒業記念絵画が十余年の長い眠りから目覚めました。平成2年度(1990年)の卒業生の手になるこの壁画は、同校の閉校後、風雨に汚されるがままになっていましたが、この程、薬剤で汚れを洗い落とされ、これ以上の塗料の退化や落剥を防ぐ保護剤を塗布されて、往時に近い姿を取り戻しました。この絵が10年以上の歳月を生き延び、今日蘇生することが出来たのは、二つの偶然が重なったことによります。一つは、アルジェの一等地にあるにもかかわらず、同校跡は最近まで新たな借り手がつかず、それ故、敷地を囲む塀の内側に描かれたこの絵画も塗りつぶされたりすることなく残ったこと。二つ目は、現地の日本大使館の紹介を受け、この春に同校跡を、校舎・校庭ともそっくり引き継いだのが、現地日本企業の三井物産アルジェ支店であったこと、です。「この絵が残っていれば、大人になった卒業生がここに来たときに喜ぶだろう。」この絵を発見した際、同支店の現支店長はそう思い、早速業者を呼んで相談を始めたそうです。しかし、アルジェリアでは適当な塗料が手に入らず、フランスから取り寄せるというなかなかに手間のかかる作業となりました。また、同支店の入居に当っては、むろん他の壁面の化粧直しも行われましたが、間違って壁画まで白く塗られないよう、支店長は心配して度々工事現場を見に行ったそうです。アルジェリアを多少とも知る人なら、自分もそうしただろうなと頷かれるエピソードだと思います。件の絵は、サッカーをする男の子を描いた二幅一対のペンキ画で、向かって左のキーパーが跳躍している絵が特によく残っています。右のドリブルをしている方は、残念ながら剥げたところが目立ちますが、描線ははっきりと見て取ることが出来ます。

壁画全体図


左側の左のキーパーが跳躍している絵ははっきりと残っている


 現在の在留邦人数80〜90人という状態からは想像しにくいことですが、アルジェリアの経済開発最盛期、つまり1970年代終わりから1980年代半ばくらいまでは、数千人単位で日本人が働いていました。そうした方々の子供を受け入れるべく、アルジェに日本人学校が開校したのは1977年のことです。同校では、普通の授業の他、ハイキングや遠足も行われ、文化祭では焼そば等の模擬店も出るといった、本国の学校と比べても遜色のない活発な活動が行われていたそうです。また、同校には「♪輝く太陽、青い空、アルジェの庭の学び舎に・・・♪」という校歌もありました。異国北アフリカの眩い空の下でも、日本の子供たちは若竹のように元気に育っていくという内容の、とてものびやかな歌です。本ホームページ「私とアルジェリア」の2001年7月5日付記事に、歌詞全文と往時の写真が載っているのでご覧になってみて下さい。
  しかし、その後アルジェ日本人学校は、1993年、治安情勢悪化に伴い閉鎖されました。今回再生された卒業記念絵画が描かれてから2年後のことです。アルジェリアでは1991年末の総選挙をきっかけとして、イスラム過激派がテロをエスカレートさせ、1993年に入ると外国人の国外退避が一斉に始まります。日本人も例外でなく、同年末までに、大使館と沙漠深部の石油サイトを除き、全ての駐在者とその家族が国外へ出て行きました。この後アルジェリアは、「テロの10年」と呼ばれる、駐在者が子供を帯同するなど考えられない厳しく暗い時代を迎えます。日本人駐在者の子供がアルジェリアに再び住むようになるのは、それからちょうど10年が経過した2003年秋になってからのことです。大使館関係者の一人が、治安情勢の回復を受けて奥さんと小学生のお子さん二人を呼び寄せたのですが、それまでの外国人が篭城するように暮らしていた時代を考えると、これは新時代を象徴する出来事だったと言えましょう。ただ、就学については、インターナショナル・スクールを選ばざるを得なかったようです。現在も、就学期の児童2名がアルジェに住んでいますが、やはりインターナショナル・スクールに通っているとのことです。

 今回、大家の老婦人は「何時かまた日本人が戻ってきて借りてくれることを期待していた」と語り、実際に日本人が戻り、かつ、この壁画が長く残されて行くことになったことを大変喜んでくれたそうです。私事で恐縮ですが、筆者は、アルジェリアへ赴任して最初の8ヶ月ほど、当時の職場の集団通勤の関係により、毎朝、この旧アルジェ日本人学校の前を通っていました。切通し状の坂道の中途に位置する同校は、長いこと空き家になっていると知っているせいなのでしょうが、その広い敷地がとても寒々しく見えたものです。私も、この建物に再び人が、しかもかつてと同じように日本人が戻るとのニュースを聞いた時、長年の心配事が解決したような、とてもほっとした気持ちがしました。今回蘇った記念絵画は、今後三井物産事務所を訪れる多くの人たちの目に留まることでしょう。これは、製作に当った卒業生だけでなく、それを見守った在校生や教職員、そして御両親たちにとっても色々な思い出のこもった絵だと思います。願わくは、それらの方々が、いつの日か思い出の地を再訪することがありますように。(了)